男性の持つ性質も、女性の持つ性質も、その両方とも霊が成長する上では不可欠な要素です。
それならば、最初から両方の要素を持ち合わせておいて、その時々で使い分ける事が出来れば、何も問題はないのではと考えるかもしれません。
全てが同じ種でも、何も問題がないのではないかと思われる事でしょう。
ですが、それでは地上界が存在している意義が半分失われてしまうのです。
人間に宿っている霊は、まだとても未熟です。
周囲の者たちと協力して安定した社会を築く事の重要性を、あまりよく理解できていない存在がほとんどです。
だからこそ、世界では争いが絶えず、多くの者たちが寿命を全うする事も出来ずに命が失われています。
争いとは、何も戦争だけではありません。
皆様の身近には多くの犯罪が蔓延しており、いつその脅威に曝されるのか分からない状況です。
世界には恨みや憎しみ、嫉みなどが渦巻いております。
自分の都合だけで物事を判断し、周囲への影響を考えられない者が大勢存在しております。
例え犯罪行為ではなくても、多くの者たちを陥れ、自分の利益だけを追求する者たちが後を絶ちません。
政治に圧力をかけ、自分の思い通りの社会を構築する事に熱心な者たちもおります。
自分の犯罪を隠すために圧力をかけ、秩序を破壊してしまいます。
一方では、それら身勝手な犯罪者や権力者の横暴によって、苦しく不安な生活を強いられている者たちが大勢おります。
彼らは、安心して暮らすために必要な知識も権限も持ち合わせておらず、日々の暮らしにおわれております。
一体どうすればその様な不安定な暮らしから解放されるのか、その術を知る事が出来ない状況です。
これらの現象は一見すると、性別の違いが存在する事とは何も関係がないように感じられるかもしれません。
ですが、これらの現象こそが人間の未熟な証であり、性別の違いを経験する必要性の証でもあるのです。
男性と女性は身体のつくりが違います。
なぜ身体のつくりが違うのかと言えば、この世界で子孫を繁栄させるための役割が異なっているためです。
男性も女性も、それぞれに果たす役割に適した身体のつくりになっているのです。
男性と女性の役割の違いを考慮に入れずに社会制度を作ってしまうと、例え最初は良くても、後で必ず男性にも女性にも双方に負担がかかるようになります。
結果として、男性にとっても女性にとっても、とても暮らしにくい社会が実現してしまい、子孫を繁栄するどころではなくなってしまうのです。
男性も女性も双方にいがみ合うようになり、むしろ衰退を招いてしまう事でしょう。
男性と女性が互いの持つ性質の違いをきちんと把握し、役割分担を理解して、それぞれ自分の役割を適切に果たす事が出来れば、本当に素晴らしい働きを期待できるのです。
男性と女性の違いを知った上で、互いを尊重できる関係を構築する事がとても大切なのです。
ですが、現在の世界はその様な考えではないようです。
主に先進国で見られる傾向ですが、女性が権利を求め、社会進出を果たす事で、男性と女性の役割分担のバランスが崩れる傾向にあり、子孫が繁栄しにくい環境へと変化しております。
このケースではよく勘違いされている事なのですが、今の先進国が行っている女性に対する政策は、真の意味で女性の価値や権利を認める行為ではありません。
女性が男性と同じ役割を果たす事を求め、男性と同じ役割を果たすのであれば認めるというものです。
男性優位の社会制度の中で女性が認められるためには、男性と同じ役割を果たすしかないと女性が感じ取ってしまった結果なのでしょう。
より男性に近づく事が優秀な女性であるかのように、誤った認識が広がっているように思われます。
その結果として、女性自体も女性にしか果たせない役割を軽んじる傾向にあるようです。
女性が女性としての役割を果たす事で、その価値を認められている社会であるとは到底言えません。
女性の男性化が進むにつれ、男性を軽んじる傾向も強くなっているように見受けられますので注意が必要です。
これらの現象は、何も女性による我が儘というわけではなく、過去において男性により抑圧され続けた事に対する反発ですので、これらの問題については、男性の考え方にも問題があった事をきちんと理解しておく必要があるでしょう。
男性も女性も、役割分担の重要性をきちんと理解していないために、誤った選択を続けてきた結果が現状であるという事実を認める必要があります。
一方では、女性の権利が認められずに、男性が女性を一方的に従えるような慣習の国も存在しているようです。
このような国も、いずれは今の先進国のような状態になり、逆の意味でバランスを欠いてゆく事になるでしょう。
男性と女性は身体のつくりが違うために、どう足掻いても同様の体験をする事はかなわない事柄が沢山存在しています。
いくら想像してみても、体験できない事柄に理解を示すのはとても難しい事です。
男性と女性がその違いを乗り越え、互いに協力し合えるパートナーとなるためには、相手の言葉によく耳を傾け、その行動をよく観察する必要があるでしょう。
言葉は偽る事もあるかもしれませんが、行動には必ずその人間の本質が表れます。
だからこそ、言葉を聞くのと同時に相手の行動を観察し、ちょっとした表情の変化などにも気にかける必要があるのです。
この世界がなぜ、男性と女性が協力しなければ子孫が繁栄されないシステムになっているのかといえば、理解する事が難しい性質の違いを乗り越えてでも、協力して共に繁栄する姿勢を学ぶのに適しているからなのです。
皆様が持つ恋愛感情は、何も無意味に存在しているわけではないのです。
愛する気持ちがより強ければ、積極的に相手を理解することに努めるでしょうし、それと同時に自分自身をより深く理解してもらえるように懸命になることでしょう。
相手のことを大切に思っていれば、自然に守りたいと思えるでしょうし、支えたいという気持ちが芽生えます。
愛しいと思う気持ちが相手のためにありたいという思いを生み、互いに尊重できるようになってゆくのです。
その様な理由から、愛する者と家庭を持つことは人間にとってとても重要な意味を持つ経験ですし、共に家庭を守り育む行為は、霊的に成長できる大変貴重な機会なのです。
(2014年11月28日)
上記記事は、『銀の紐を越えて』掲載記事【性別が存在する意義(メッセージ19)】について、霊媒Mの通信精度向上に伴って、再度詳細な説明をお願いしたものです。
通信の送り手が提供する情報は同じであっても、受け手の霊媒の通信精度の違いによって、これほど内容に違いが出るのだという部分を感じて頂ければ、今回の試みに挑戦した目的は果たされていると思います。
また、今日の日本では、少子高齢化に伴う労働力減少への対策として、女性(特に主婦層)の就労促進を政府が掲げておりますが、社会における男女の役割分担の好ましい形を考える良い機会です。
この際ですので、上記記事なども参考に、男女の生まれ持った性質の違いを認識して、各々の性質の違いを相互補完し、お互いに上手く活かせる社会の仕組み作りに役立てて頂ければ幸いです。
Silvercord管理人
上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【『銀の紐を越えてα』の開設にあたって】に掲載中の『ご覧の皆様へのお願いと連絡事項』をご覧下さい。
謹んで拝読させていただきました。
返信削除> その様な理由から、愛する者と家庭を持つことは人間にとってとても重要な意味を持つ経験ですし、共に家庭を守り育む行為は、霊的に成長できる大変貴重な機会なのです。
私は生まれてこの方、異性と交際経験がなく、もちろん家庭も持っておりません。もう適齢期もとうに過ぎましたので、一生独身で生涯を終えるものと考えています。
偉人には独身で生涯を終えた方もいらっしゃいますが、私はとうていそんな高潔な人格者ではなく、そうであるなら、若い頃からずっと人並みに交際をしたいと思いつつ、遂にこういう状況になってしまった私のような人間は、上記のような経験も時期尚早なほど未熟ということなのでしょうか。
匿名様
削除人の縁とは、それこそ人それぞれに様々な縁があるのですが、今の世の中は、一生を添い遂げる異性との関わりから、何かを学びたいと望んで生まれた人の割合が高いと言うことです。
一方、匿名様のコメントにある様に、一生を独身で終えた方もいますが、彼らは「異性との人間関係」から学ぶのではなく、もっと別の人間関係から学ぶテーマを選んでいたのかも知れません。
或いは、人間関係とは別の目的を持って生まれていて、むしろ人間関係に煩わされることにより、本来の目的にとって支障となる場合もあります。
もし、匿名様がこれらの目的を持って生まれたのだとしたら、「異性との関わり」をテーマとしている人々よりも難しい目的を持って生まれたことになります。
では、匿名様ご自身が生まれる時に掲げた目的を知るには、どうすれば良いでしょうか。
匿名様が生まれてから今までの間に、どの様な経験を積み重ねてきたのかを振り返ってみると、人生の節目節目で何かの学びを得て、その度に特定の方向へ進路を定めてきた足跡が見えると思います。
その、今まで辿ってきた足跡を更に未来に伸ばした先に、匿名様が志した目的が見えてくるでしょう。
大切に思うものや、譲れないもの、それらに拘ってしまう理由を詳しく観察する中から、匿名様が生まれる前に目的としたものが浮かび上がってくるのではないでしょうか。
『銀の紐』掲載記事【転生を繰り返しながら共に過ごす霊たち[小ネタ]】にもある様に、人間が一生の中で関わりを持つ主要な関係者とは、生まれる前の霊の時点で予め契約を結んでいるのだそうです。
残念ながら、人間に宿っている状態では、それ以前の記憶が思い出せない様にされているので、いつどの様な出会いが予定されているのかは、神のみぞ知るところとなります。
【質問】
返信削除はじめまして、こんにちは。
この記事が投稿されてかなり経ちますが、よろしくお願い致します。
同性婚についてです。
世界でも同性婚が認められている国が少しずつですが増えています。
賛否両論あり、日本でもこの頃よく取り上げられているため、よく耳にし、考えることが多くなりました。
自分なりの意見はまだしっかりとまとまっておりませんが、この問題は個人を尊重するという視点と、生物学上の「ヒト」としての二つの視点があるのではないかと思っています。
個人を尊重する上では必要なことだとも思いますが、子孫繁栄に関していうと子どもは産めないので自然の摂理から逸脱しているのかなとも思えます。けれど、同性同士愛し合った二人が結婚して子どもを養子縁組で立派に育てたという話も聞いたことがあるように、家庭ごと、その人たちの人となりによって結局は良くも悪くもなるのかとも思います。
しかし、この記事にも述べられているように男女の役割や霊的成長として考えるとどうなるのでしょうか。
「子孫を繁栄させる事が出来るシステム」の上ではどういうものになるのか疑問が湧きました。
同性婚が認められると結婚して家族となりますが、男女の役割はどう解釈されるのか…?
などと混乱しています。
これは彼らが背負っているどう乗り越えるかという試練、ひいては人類の一つの議題として考えて乗り越えていかねばならない試練なのでしょうか。
また、このサイトをご覧になっている方々や管理人さん個人はどのようにお考えなのか意見を伺ってみたいです。
そして、いつか機会があればこのことについて霊団の皆様のお話を伺いたいです。
(一行上の文については【質問】の範囲を越えているかもしれませんが希望として書かせて下さい。)
稚拙な文章で申し訳ありません。
なにかおかしな点があればご指摘お願いします。
『銀の紐を越えてα』に質問を寄せていただいたということは、霊的知識に照らして「同性婚」をどのように見るかという趣旨だと思います。
削除そこで、先に管理人を意見を述べた上で、霊界の住人から追加のコメントがあれば改めて追記します。
それでは、「同性婚」について述べる前に、「なぜ人は男女の組み合わせで子を産み育てるのか?」という点について復習をしておきましょう。
『銀の紐』掲載記事【転生を繰り返しながら共に過ごす霊たち[小ネタ]】で述べているように、男女の性別は人間の肉体的な特性で、人間に宿る霊には性別がありません。
そして霊には「父性」と「母性」が予め宿っていて、両方の性質をバランス良く育むことによって霊的に成熟してゆきます。
ですから、霊的に成長してゆくにつれて、特定の性別に対するこだわりが薄れてゆくことになります。
また、子供を産み育てることは、子供の側から見れば、人間としての経験を希望する霊が新たなチャンスを得ることになります。
子供を育てる側から見れば、親にとって子は未熟な存在ですので、育児の経験を通じて未熟な者を育てる為に必要な忍耐や気配り、長期的な視野を見据えた育成のコツなどを学びます。
その経験は、人間に宿る霊が後に神々の境涯へ至ってから、自分よりも未熟な霊を指導する際に生かされます。
そして、親と子の間に血縁があることによって、親は子に、子や親に対する強い絆を意識しますが、その強い絆が、苦境においても安易に相手を見捨てず、互いの関係を維持しようと努めます。
血縁は肉体的な繋がりですが、例えば身寄りのない子供を引き取って養子として育てている方は、その親子の絆が血縁に劣らないほど強固であるなら、その親子に宿る霊は霊的に成熟していることになります。
それに加えて、男女のペアによって子を宿すという生物学的な条件があります。
以上を踏まえて「同性婚」について考えてみましょう。
まず、現在の社会制度は基本的に、血縁関係を持って共に居住する者を家族とし、また男女が婚姻を持って家族を形成する仕組みを前提として成り立っています。
そこに「同性婚」という新たな概念を法制化すると、その新たな仕組みによる様々な影響が現れます。
まず、同性のペアが子を宿すことは、生物学的に無理がありますので、同性婚は少子化促進要素となります。
「同性婚」が法制化されると、同性婚の選択に対する社会的なハードルが下がりますし、同性婚を肯定する方向の教育が進みます。
そうすると必然的に、同性婚の法制化後に成人する人々は、同性婚を肯定的な選択肢の一つと見なすようになるでしょう。
同性婚が認められていない現状でも少子化が進行しているのですから、そこで更に少子化促進要素を追加することによって、人口減少という別の問題を深刻化させます。
それは日本の存続にも関わる問題ですし、日本が存続してこそ社会の仕組みを整える意義が活きるのですから、少子化を促進しかねない仕組みの法制化には否定的です。
「法的な権利は与えないけれども、個人の趣味趣向の範囲での事実婚状態なら黙認する」程度が精々だと思います。
次に「同性婚」は、男女の性質の違いに目を向けたり、性質の違う者同士がうまく役割を分担したり、協力して一つの作業を成し遂げるといった経験を避けることに繋がりますので、人間に男女の性別がある理由から目を背ける未熟さの現れといえます。
確かに「同性同士愛し合った二人が結婚して子どもを養子縁組で立派に育てた」という例もあるでしょうが、それが同性婚を選択したすべての人に当てはまるわけではないでしょう。
そういう人は同性婚を選択したから養子を立派に育てたのではなくて、養子を引き取る状況にあれば一人でも、異性と婚姻関係にあっても立派に育てていたのではないでしょうか。
異性と結婚して立派に子供を育てる人の割合よりも、同性と結婚して立派に子供を育てる人の割合が多いとは思いませんが、その様な統計資料を見たことはありませんので、正確なところはわかりません。
とはいえ、管理人の意見とは別に、今「同性婚」が推進されている理由は一応推測できます。
『銀の紐』掲載記事【『ヨハネの黙示録』では語られていないこと】の項目「世界の人口増加の理由は『神の裁き』にある」にあるように、今後世界の人口は減少に向かうらしいのですが、同性婚などの社会制度の変更は比較的穏健な選択肢であって、その選択肢がとれない場所では血を見る形の厳しい選択をせざるを得ないでしょう。
とはいえ、ある程度の水準で人口は下げ止まりますので、同性婚がもてはやされるのも今後数十年とか百年程度の期間に限られるのではないでしょうか。
上記の質問をした大葉と申します。
返信削除上記では「管理人さん個人はどのようにお考えでしょうか」
というような書き方を致しましたが、もしも可能であれば
霊媒Mさんの意見も伺えれば幸いです。
お忙しいかと思いますが、よろしくお願い致します。
また、意見については難しければ受け流して頂いて構いません。
大葉様
削除とある霊界の住人から預かった回答を、記事【「同性婚」を霊的知識に照らして考える】として投稿しましたので、ご覧下さい。