2015年7月14日火曜日

「同性婚」を霊的知識に照らして考える[質問と回答]

今回は、記事【男女の性別と役割分担[メッセージ修正版11]】のコメント欄にお寄せ下さった大葉様の質問に関連して、「同性婚」についての霊界の住人のコメントを紹介します。

近年は海外で同性婚を法的な権利として認めてゆく動きが強まっており、六月にアメリカ合衆国最高裁判所にて、「アメリカの全ての州において同性結婚を認める」旨の判決が下されたとの報道がありました。
また、主に欧州や南北米大陸の諸国で同性婚の法制化が進んでいるようです。
日本でも三月に東京渋谷区議会が、同性のカップルを結婚に相当する関係と認めて「パートナー」と証明する旨の条例を議決しました。

その様な現状を踏まえて、とある霊界の住人の方は「同性婚」をどのように見ているのでしょうか。
先に大葉様の質問を再掲してから、霊界の住人のコメントを紹介します。





■ 大葉様の質問

【質問】
はじめまして、こんにちは。
この記事が投稿されてかなり経ちますが、よろしくお願い致します。

同性婚についてです。
世界でも同性婚が認められている国が少しずつですが増えています。
賛否両論あり、日本でもこの頃よく取り上げられているため、よく耳にし、考えることが多くなりました。
自分なりの意見はまだしっかりとまとまっておりませんが、この問題は個人を尊重するという視点と、生物学上の「ヒト」としての二つの視点があるのではないかと思っています。
個人を尊重する上では必要なことだとも思いますが、子孫繁栄に関していうと子どもは産めないので自然の摂理から逸脱しているのかなとも思えます。けれど、同性同士愛し合った二人が結婚して子どもを養子縁組で立派に育てたという話も聞いたことがあるように、家庭ごと、その人たちの人となりによって結局は良くも悪くもなるのかとも思います。
しかし、この記事にも述べられているように男女の役割や霊的成長として考えるとどうなるのでしょうか。
「子孫を繁栄させる事が出来るシステム」の上ではどういうものになるのか疑問が湧きました。
同性婚が認められると結婚して家族となりますが、男女の役割はどう解釈されるのか…?
などと混乱しています。
これは彼らが背負っているどう乗り越えるかという試練、ひいては人類の一つの議題として考えて乗り越えていかねばならない試練なのでしょうか。





■ とある霊界の住人の回答

同性婚についてお尋ねのようですので、回答させていただきます。

地上界は何故、男性と女性が存在して成り立っているのかを考えたことはありますか?
そこにはきちんとした理由があり、無意味に存在しているわけではありません。
必要のない仕組みをわざわざ作る様な無駄はしません。
地上界では霊的な成長のために必要な環境が整えられておりますので、当然のことながら、男女の性別の違いも霊的な成長に大きく関わってきます。
男性として暮らすことで学べる事柄と、女性として暮らすことで学べる事柄は異なっておりますので、成長途上の霊達にとってはどちらの経験も等しく重要なものとなります。
もともと持ち合わせている性質や担うべき役割が違うので、男性と女性が共に暮らし、協力しながら安定した家庭を築くことは至難の業です。
それらの違いを踏まえた上で協力するからこそ、大きな学びが得られる要素が存在するのです。

男性は女性としての経験を積むことは出来ませんし、女性は男性としての経験を積むことは出来ません。
例え男女で役割を逆転したとしても、それは変わりません。
男性が女性のまねをすることは出来ても女性になることは出来ませんし、女性が男性のまねをすることは出来ても、男性になることは出来ません。
例え何を行っていても男性は男性ですし、女性もまた然りです。
なったつもりになることは出来ても、実際になれるわけではないのです。
これは曲げようのない事実です。
地上界は霊達が学ぶために存在し、霊的な成長を一番に考えて創造されておりますので、地上界が成り立っている仕組みも環境も、霊的に成長するためには必要不可欠な要素ということになります。

同性愛者は少数派ですが、地上界に存在しております。
現実に存在しているからには、そこにはやはり理由があるのですが、その理由は人間達が考えているほど生易しいものではありません。
同性愛というものは、霊的な成長という観点から見てあまり良い状態とは言えません。
霊的な成長はどちらかというと停滞気味の状態です。
同性同士と言うだけで、互いを理解しやすい環境が整います。
異性と違って、性別の違いから来る理解の難しさを経験することがありません。
同性同士の場合は互いに同様の経験をする事が可能なので、異性と交際するよりも理解が容易いのです。
他人であれば一歩引いたものの考え方が出来ますが、恋人や家族となった場合には深く関わることになりますので、理解が難しい相手である異性との交際は煩わしさを感じる場面の方が多いかもしれません。
ですが、その煩わしさこそが霊的成長に大きく寄与している要素ですので、そこを避けて同性を選ぶと言うことは、霊的な成長という意味では停滞気味になり易い環境となってしまうのです。
ですから、霊的な成長のために存在している地上界で、わざわざ霊的な成長を妨げる要因となる仕組みを必死になって作ろうとしているのが、現在の地上界の状況であると理解しております。
人間に宿っている霊達が霊的な成長を望まず、人間のままでいたいと考える割合が多ければ、同性愛に対する考えはより寛容になり、人類は徐々に衰退する事になるでしょう。
逆にもっと霊的に成長したいと考える霊達の割合の方が多ければ、今後強い反発が出ることになるでしょう。
一時的には同性愛に寛容になっても、衰退傾向が見られ出すと途端に反発心が芽生え、強く反発する者たちの声が大きくなってくるでしょうから、どちらにしても反発されることにはなるでしょう。
ただ、その時期が早いのか遅いのかの違いだけとなります。

さて、同性愛者が地上界に存在している理由は、自分たちの楽園を地上界に創るためではなく、周囲との違和感に苛まれながら生活する過程でなければ学べない霊的真理があるからなのです。
それらの真理を充分に理解出来ていれば、同性愛に違和感を覚えるものなのですが、彼らにはまだそれが何であるのか理解出来てはいないのです。
それはそれで一つの経験の機会なのですから、単純に社会から排除すれば良いというものではありません。
積極的に容認するような問題でもありませんが、迫害するような問題でもないということです。
彼らは彼らなりに、悩みながらも霊的に成長してゆきます。
ですが、彼らが当然の権利として公然と振る舞い、それが当たり前の社会にしてしまうことには問題があります。
霊達が地上界で本来学ぶべき霊的真理を、充分に学ぶのが難しい環境になってしまうからです。
同性愛者として地上界で経験して学べる事柄は、霊的真理のうちのごく一部に過ぎません。
しかも、そのごく一部の霊的真理を学ぶためには、少数派として違和感を覚えながらも暮らしてゆく経験が必要なのです。
異性との交際からは学べない代わりに、社会との軋轢から学びを得ることになるのです。
今のままでは彼らにはとても生きづらい環境かもしれませんが、霊的な成長のためには必要な環境なのです。
ですから、行動や言動が行き過ぎると必ず反発を招く事になりますし、反って今よりも居心地の悪い環境になってしまうことでしょう。

それらの悩みを持つ人々を政治活動の道具として利用するために煽ったり、当事者でもないのに無責任に賛同して煽っている人たちの行動や言動はあまり感心できたものではありません。
彼らはあまりにも強引に事を推し進めており、それらの行動の結果として強い反発が起こる可能性が考えられます。
彼らが無理な要求を強引に押し通して、社会に対して政治的な圧力をかけることで、今までは特に反発する理由も見当たらなかったので容認していた人たちも、正当な反発理由を持ってしまうことになります。
その結果として、同性愛者達の居場所自体を奪ってしまいかねません。
一度そうなってしまったら、周囲で煽っていた人たちは蜘蛛の子を散らす様に逃げ去ってしまうことでしょう。
後に残された同性愛者達がどうなってしまうのか、想像するのは容易い事です。
本当に彼らのことを思うのであれば、そっとしておいた方が良いでしょう。
政治的な活動に利用してはなりません。
そして、その政治的な活動に乗せられて無責任な判断をしませんように。
「少数派の意見にも耳を傾けて理解をしている自分は素晴らしい」と無意識に思って、そんな自分に酔っているような無責任な方々があまりにも多すぎます。
政治的な圧力をかけて事を荒立ててしまえば、それはもう個人的な問題ではなく、社会問題として考えられるようになってしまうということを考慮に入れる必要があるでしょう。
当然、個人的な問題として見ていた時は容認していたような人たちでも、社会問題化した時点で違和感を覚え、反発する可能性が考えられます。
その反発心に対して、十分な説明や議論を尽くさず、差別主義者とのレッテル貼りでも行おうものならば、反発心が増すばかりで、元々は溝のなかったところに大きな溝を掘り進めてゆくようなものです。
冷静に考えれば、あまり強引に事を推し進めれば、後には悲惨な結果が待っているという事が容易に想像できます。
繊細な問題なのですから、もっと慎重に扱う必要があるでしょうに、今のような強引なやり方では、同性愛者達を支援しているというよりは、彼らを晒し者にしているようにしか見えません。
矢面に立たされているのですから、もし何か問題が起きた時は、その責任を問われるのも同性愛者達ということになってしまいます。
人の弱みにつけ込むような人たちは、都合が良い時は調子の良いことをペラペラと語りますが、一度都合が悪くなってしまえば、まるで最初から無関係の者のような顔をして逃げだそうとすることでしょう。
その様な身勝手な振る舞いに、真剣に悩んでいる人たちを巻き込んでしまっても良いのでしょうか?
中にはそっとしておいて欲しいと考えている同性愛者達もいるのではありませんか?
もっと、慎重に扱った方が良い問題だと思いますが、もうここまで問題が大きくなってきてしまうと留めようがないかもしれません。
同性愛者達自身がもっと慎重に注意深くあるように努めなければ、思いもしなかったようなとても辛い結果が待ち受けているかもしれません。

(2015年7月14日)





記事の冒頭で述べたように、今回は過去記事のコメント欄にお寄せ下さった質問について、とある霊界の住人の回答を紹介しました。
今回取り上げたテーマについては、霊界の住人として特に述べておきたいことがあると感じたようです。
但し、基本的には、ご覧の皆様からお寄せ下さった質問には管理人から回答しておりますので、その点については改めてご了承願います。

別途、記事冒頭のリンク先にて、同性婚に対する管理人の意見を述べておりますので、興味をお持ちの方は併せてご覧下さい。

Silvercord管理人 





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