2015年7月14日火曜日

「同性婚」を霊的知識に照らして考える[質問と回答]

今回は、記事【男女の性別と役割分担[メッセージ修正版11]】のコメント欄にお寄せ下さった大葉様の質問に関連して、「同性婚」についての霊界の住人のコメントを紹介します。

近年は海外で同性婚を法的な権利として認めてゆく動きが強まっており、六月にアメリカ合衆国最高裁判所にて、「アメリカの全ての州において同性結婚を認める」旨の判決が下されたとの報道がありました。
また、主に欧州や南北米大陸の諸国で同性婚の法制化が進んでいるようです。
日本でも三月に東京渋谷区議会が、同性のカップルを結婚に相当する関係と認めて「パートナー」と証明する旨の条例を議決しました。

その様な現状を踏まえて、とある霊界の住人の方は「同性婚」をどのように見ているのでしょうか。
先に大葉様の質問を再掲してから、霊界の住人のコメントを紹介します。





■ 大葉様の質問

【質問】
はじめまして、こんにちは。
この記事が投稿されてかなり経ちますが、よろしくお願い致します。

同性婚についてです。
世界でも同性婚が認められている国が少しずつですが増えています。
賛否両論あり、日本でもこの頃よく取り上げられているため、よく耳にし、考えることが多くなりました。
自分なりの意見はまだしっかりとまとまっておりませんが、この問題は個人を尊重するという視点と、生物学上の「ヒト」としての二つの視点があるのではないかと思っています。
個人を尊重する上では必要なことだとも思いますが、子孫繁栄に関していうと子どもは産めないので自然の摂理から逸脱しているのかなとも思えます。けれど、同性同士愛し合った二人が結婚して子どもを養子縁組で立派に育てたという話も聞いたことがあるように、家庭ごと、その人たちの人となりによって結局は良くも悪くもなるのかとも思います。
しかし、この記事にも述べられているように男女の役割や霊的成長として考えるとどうなるのでしょうか。
「子孫を繁栄させる事が出来るシステム」の上ではどういうものになるのか疑問が湧きました。
同性婚が認められると結婚して家族となりますが、男女の役割はどう解釈されるのか…?
などと混乱しています。
これは彼らが背負っているどう乗り越えるかという試練、ひいては人類の一つの議題として考えて乗り越えていかねばならない試練なのでしょうか。





■ とある霊界の住人の回答

同性婚についてお尋ねのようですので、回答させていただきます。

地上界は何故、男性と女性が存在して成り立っているのかを考えたことはありますか?
そこにはきちんとした理由があり、無意味に存在しているわけではありません。
必要のない仕組みをわざわざ作る様な無駄はしません。
地上界では霊的な成長のために必要な環境が整えられておりますので、当然のことながら、男女の性別の違いも霊的な成長に大きく関わってきます。
男性として暮らすことで学べる事柄と、女性として暮らすことで学べる事柄は異なっておりますので、成長途上の霊達にとってはどちらの経験も等しく重要なものとなります。
もともと持ち合わせている性質や担うべき役割が違うので、男性と女性が共に暮らし、協力しながら安定した家庭を築くことは至難の業です。
それらの違いを踏まえた上で協力するからこそ、大きな学びが得られる要素が存在するのです。

男性は女性としての経験を積むことは出来ませんし、女性は男性としての経験を積むことは出来ません。
例え男女で役割を逆転したとしても、それは変わりません。
男性が女性のまねをすることは出来ても女性になることは出来ませんし、女性が男性のまねをすることは出来ても、男性になることは出来ません。
例え何を行っていても男性は男性ですし、女性もまた然りです。
なったつもりになることは出来ても、実際になれるわけではないのです。
これは曲げようのない事実です。
地上界は霊達が学ぶために存在し、霊的な成長を一番に考えて創造されておりますので、地上界が成り立っている仕組みも環境も、霊的に成長するためには必要不可欠な要素ということになります。

同性愛者は少数派ですが、地上界に存在しております。
現実に存在しているからには、そこにはやはり理由があるのですが、その理由は人間達が考えているほど生易しいものではありません。
同性愛というものは、霊的な成長という観点から見てあまり良い状態とは言えません。
霊的な成長はどちらかというと停滞気味の状態です。
同性同士と言うだけで、互いを理解しやすい環境が整います。
異性と違って、性別の違いから来る理解の難しさを経験することがありません。
同性同士の場合は互いに同様の経験をする事が可能なので、異性と交際するよりも理解が容易いのです。
他人であれば一歩引いたものの考え方が出来ますが、恋人や家族となった場合には深く関わることになりますので、理解が難しい相手である異性との交際は煩わしさを感じる場面の方が多いかもしれません。
ですが、その煩わしさこそが霊的成長に大きく寄与している要素ですので、そこを避けて同性を選ぶと言うことは、霊的な成長という意味では停滞気味になり易い環境となってしまうのです。
ですから、霊的な成長のために存在している地上界で、わざわざ霊的な成長を妨げる要因となる仕組みを必死になって作ろうとしているのが、現在の地上界の状況であると理解しております。
人間に宿っている霊達が霊的な成長を望まず、人間のままでいたいと考える割合が多ければ、同性愛に対する考えはより寛容になり、人類は徐々に衰退する事になるでしょう。
逆にもっと霊的に成長したいと考える霊達の割合の方が多ければ、今後強い反発が出ることになるでしょう。
一時的には同性愛に寛容になっても、衰退傾向が見られ出すと途端に反発心が芽生え、強く反発する者たちの声が大きくなってくるでしょうから、どちらにしても反発されることにはなるでしょう。
ただ、その時期が早いのか遅いのかの違いだけとなります。

さて、同性愛者が地上界に存在している理由は、自分たちの楽園を地上界に創るためではなく、周囲との違和感に苛まれながら生活する過程でなければ学べない霊的真理があるからなのです。
それらの真理を充分に理解出来ていれば、同性愛に違和感を覚えるものなのですが、彼らにはまだそれが何であるのか理解出来てはいないのです。
それはそれで一つの経験の機会なのですから、単純に社会から排除すれば良いというものではありません。
積極的に容認するような問題でもありませんが、迫害するような問題でもないということです。
彼らは彼らなりに、悩みながらも霊的に成長してゆきます。
ですが、彼らが当然の権利として公然と振る舞い、それが当たり前の社会にしてしまうことには問題があります。
霊達が地上界で本来学ぶべき霊的真理を、充分に学ぶのが難しい環境になってしまうからです。
同性愛者として地上界で経験して学べる事柄は、霊的真理のうちのごく一部に過ぎません。
しかも、そのごく一部の霊的真理を学ぶためには、少数派として違和感を覚えながらも暮らしてゆく経験が必要なのです。
異性との交際からは学べない代わりに、社会との軋轢から学びを得ることになるのです。
今のままでは彼らにはとても生きづらい環境かもしれませんが、霊的な成長のためには必要な環境なのです。
ですから、行動や言動が行き過ぎると必ず反発を招く事になりますし、反って今よりも居心地の悪い環境になってしまうことでしょう。

それらの悩みを持つ人々を政治活動の道具として利用するために煽ったり、当事者でもないのに無責任に賛同して煽っている人たちの行動や言動はあまり感心できたものではありません。
彼らはあまりにも強引に事を推し進めており、それらの行動の結果として強い反発が起こる可能性が考えられます。
彼らが無理な要求を強引に押し通して、社会に対して政治的な圧力をかけることで、今までは特に反発する理由も見当たらなかったので容認していた人たちも、正当な反発理由を持ってしまうことになります。
その結果として、同性愛者達の居場所自体を奪ってしまいかねません。
一度そうなってしまったら、周囲で煽っていた人たちは蜘蛛の子を散らす様に逃げ去ってしまうことでしょう。
後に残された同性愛者達がどうなってしまうのか、想像するのは容易い事です。
本当に彼らのことを思うのであれば、そっとしておいた方が良いでしょう。
政治的な活動に利用してはなりません。
そして、その政治的な活動に乗せられて無責任な判断をしませんように。
「少数派の意見にも耳を傾けて理解をしている自分は素晴らしい」と無意識に思って、そんな自分に酔っているような無責任な方々があまりにも多すぎます。
政治的な圧力をかけて事を荒立ててしまえば、それはもう個人的な問題ではなく、社会問題として考えられるようになってしまうということを考慮に入れる必要があるでしょう。
当然、個人的な問題として見ていた時は容認していたような人たちでも、社会問題化した時点で違和感を覚え、反発する可能性が考えられます。
その反発心に対して、十分な説明や議論を尽くさず、差別主義者とのレッテル貼りでも行おうものならば、反発心が増すばかりで、元々は溝のなかったところに大きな溝を掘り進めてゆくようなものです。
冷静に考えれば、あまり強引に事を推し進めれば、後には悲惨な結果が待っているという事が容易に想像できます。
繊細な問題なのですから、もっと慎重に扱う必要があるでしょうに、今のような強引なやり方では、同性愛者達を支援しているというよりは、彼らを晒し者にしているようにしか見えません。
矢面に立たされているのですから、もし何か問題が起きた時は、その責任を問われるのも同性愛者達ということになってしまいます。
人の弱みにつけ込むような人たちは、都合が良い時は調子の良いことをペラペラと語りますが、一度都合が悪くなってしまえば、まるで最初から無関係の者のような顔をして逃げだそうとすることでしょう。
その様な身勝手な振る舞いに、真剣に悩んでいる人たちを巻き込んでしまっても良いのでしょうか?
中にはそっとしておいて欲しいと考えている同性愛者達もいるのではありませんか?
もっと、慎重に扱った方が良い問題だと思いますが、もうここまで問題が大きくなってきてしまうと留めようがないかもしれません。
同性愛者達自身がもっと慎重に注意深くあるように努めなければ、思いもしなかったようなとても辛い結果が待ち受けているかもしれません。

(2015年7月14日)





記事の冒頭で述べたように、今回は過去記事のコメント欄にお寄せ下さった質問について、とある霊界の住人の回答を紹介しました。
今回取り上げたテーマについては、霊界の住人として特に述べておきたいことがあると感じたようです。
但し、基本的には、ご覧の皆様からお寄せ下さった質問には管理人から回答しておりますので、その点については改めてご了承願います。

別途、記事冒頭のリンク先にて、同性婚に対する管理人の意見を述べておりますので、興味をお持ちの方は併せてご覧下さい。

Silvercord管理人 





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【『銀の紐を越えてα』の開設にあたって】に掲載中の『ご覧の皆様へのお願いと連絡事項』をご覧下さい。

7 件のコメント:

  1. 今回の同姓婚制度の議論の背景には、日本在留資格を失った又は失う可能性が高い外国人達による活動ではないか、という噂を耳にします。
    日本人と結婚すれば婚姻期間中は永住許可を得られるのですが、その婚姻の対象者を倍に増やそうという目論見なのだと思います。
    手法としては、偽装結婚の形で行われるのがメインとなるのでしょう。
    既に同姓婚を法律婚として認めた欧州諸国においては、そのような方法で永住権や国籍を不当に入手する不逞外国人達が既にいるのだそうです。
    おそらく、一定の外国人勢力がこの手法を参考に活動を行っているというのが、今回の議論が起きた背景なのではないかと、私は推測しております。
    といいますのも、社会問題が社会問題として広く認識され、政治的問題にまで大きくなるには、国民の大多数が自然とその問題意識を持つようになる土壌が形成されるものだと思います。
    それは例えば、「まず国民性が如何なるものであるかという点が存在し、その国民性ゆえに継続的に起きる社会問題を自覚し、その問題点を国民の大多数が認識し、その問題点を解決する手段は何かを議論する段階に至る」、という過程を踏んで形成されるものではないでしょうか。
    今回の場合は、そうした過程を一切踏んでおらず、ポっと出の正体不明の議論だという印象が拭えません。
    国民の大多数は、法律婚と事実婚の異動や現行婚姻制度の長短などを理解していると言えるでしょうか。
    前提知識と問題点に関する理解が周知されてもいないのに、何故大きな社会問題化したのでしょうか。
    私は一定の勢力とマスコミが結託して、輿論誘導を図った結果なのではないのかと考えてしまいます。
    これが記事中で霊界の方が言及されました「政治活動の道具として利用するため」や「彼らはあまりにも強引に事を推し進め」にあたるのではないかと思うのですが、如何でしょうか。

    今回の記事は、同姓婚の是非という主旨であったと思いますが、上記のように同性婚議論は一定の外国人勢力における政治活動による策動であるという噂はありうることか、それがありうるとした場合不法残留外国人への処遇を厳格にする方向で動いている現在に日本において成功する可能性があるのか、についてご意見をお聞きしたく思います。

    返信削除
    返信
    1. 匿名様

      まず匿名様のコメントされている事例が「噂」となっており、少なくとも管理人はその様な噂を知りませんので、その「噂」について管理人からは何ともコメントのしようがありません。
      匿名様もコメントされているように、記事の本筋から外れているテーマでもあります。

      ただ、一般論として考えると、偽装結婚の手段として同性婚の法整備を進めるというお話は現実的ではないと思います。
      現状でも偽装結婚は行われているようですし、犯罪がらみの事例が時折報道されています。
      そして、日本で同性婚を法的に認めるには憲法の改正(第二十四条)が必要となりますので、仮に今後日本で実現するにしても非常に高いハードルを乗り越えることになり、時間も手間もかかります。
      匿名様のお話は、仮に今後日本で同性婚の法整備が行われた場合に、その制度を悪用する不心得者が現れる可能性があるということであって、現状でも偽装結婚が行われているにもかかわらず、あえてハードルの高い手段をとる理由がわかりません。
      同性婚を政治的な手段として利用するにしても、「日本の文化や秩序・価値観の破壊」など、「憲法改正を伴う困難な手段をとっても遂行する価値がある」と思われる目的を持って行われるのではないでしょうか。
      そして、その様な手段をとる者は「日本を手に入れたい」と考える海外の勢力であり、日本国内にも実働部隊が紛れ込んでいることになります。

      尤も、管理人も匿名様の危機感は共有しますので、お話の件は同性婚との関係として捉えるよりも、外国人の出入国管理や在留許可の仕組み、そして不法在留者を取り締まる仕組みの見直しという視点から捉えた方が、本質的な問題解決に繋がるのではないでしょうか。

      削除
    2. 幾つか思うところはあるのですが、更に記事の本筋から外れたり、法律のお話になってしまいますので、差し控えようかなと思います。
      最後に管理人様が仰いましたように、私が提起した問題点は同性婚於いてというよりは、入管に於いてという主題の基に提起すべきお話でした。

      お忙しいところ、お返事くださりありがとうございました。
      参考になりました。

      削除
  2. 質問をした大葉と申します。
    この件に関してはずっと気になっており、個人的に危惧していた問題の一つでした。なので機会があれば霊界の住人の方々のお話をお伺いできればと思っていましたので、まさか一つのトピックとして返答を頂けるとは思わず、大変嬉しく思っております。ありがとうございます。

    ずっと自分の中の考えが燻っており、霊団の住人の方の意見やみなさんの意見を聞きたいのと同時に、自分の意見や経緯も聞いてもらいたい。という思いがありましたので、勝手であり拙い文章だと思いますが、頂いた回答の感想とともに述べさせて頂きたいと思います。

    最近同性婚について耳にするようになりましたが、おぼろげに「そういう人たちを否定したりやり玉にあげるつもりはないが、国が認めるのは反対だ」と考えていました。
    回答にも書かれている通り、そっとしておくというか、苦労はあるだろうけど頑張ってください…という程度でした。
    しかし、テレビ番組のテーマとして挙げられるようになり、ゆくゆくはもっと大きく取り上げられ、実際に日本でも認めるかどうか賛否を求めれれるようになった場合、なぜ反対なのか。という意見を周りの人達と話す上でしっかり話せるようにならないといけないのではないか、と個人的に危惧してました。手間はかかりますが、憲法の改正にまで発展することもなくはないのでは?!と飛躍してしまったのです。

    また、この問題を取り上げていた番組を見てみると賛成の人が結構いたことに驚いたのです。そのような意見の人もいるのだなと最初は思ったのですが、コメンテーターの意見や、番組の仕様としてツイッターと連動しており一般の人の意見を同時に見れたのですが、その内容がまさに>「少数派の意見にも耳を傾けて理解をしている自分は素晴らしい」と無意識に思って、そんな自分に酔っているような無責任な方々があまりにも多すぎます。と霊界の住人の方が仰られているように感じられました。まるで自分は理解ある人間だ。とアピールしたいだけのような…。そして反対する人に対しては「頭の固い、差別者だ」とか「時代の変化に対応できてない」だとか理解のない考えの人々である。というようなレッテル貼りをされているように感じたのです。実際にツイッターの意見もそのようなことが書いてありました。

    そのような意見には違和を感じるだけでしたが、私が混乱した理由の一つとして、何を大切にするのか。ということでした。意見の中には「同性を好きになるのだから結婚しないし、少子化の問題には影響はない」「養子縁組で育てた子どもでも問題なく育った」などという意見を聞くと、「ちゃんと子どもが育つといいのか…?」と、子どもがしっかりと育つことを中心として考えればいいのだろうかと、自分の考えが混乱するようになってきたのです。男女の役割的にも逸脱していますし、ずっと反対意見を持っていたのですが、家庭が円満であることが一番なのだろうかと考えが揺れていました。あとは個人の権利を尊重するのかという点です。(権利権利と個人を尊重すればいいという考えに賛成というわけではありませんが…)ですが正直それよりも子孫(子どもたち)がしっかり育つかどうか。という点が気になって仕方ありませんでした。最近、男女の夫婦であっても虐待とか子どもが家庭内で悲惨な目にあっている事件を最近よく聞きます。子どもには男女の役割を理解した上で育ってほしいですが、親が同性同士だと混乱するだろけども、円満で明るい家庭で育つことができればいいという考えもあるのかもしれない、と思えてきたのです。

    そういう経緯もあり、もしかしたら私のように混乱している人が他にもいるのではないかと思ったことと、本来、性別とはなぜあるのか、などという本質的なことをここでなら多方面から伺えるのではないかと思い質問させて頂きました。

    匿名様のような意見を伺えたのも、事実かどうかは置いておいて、新たな見方ができるきっかけとなりました。私も本当にポッと出の正体不明の議論だという意見に同感で、薄気味悪く感じており、これも何か裏があるのではと思えてならなかったので意見を伺えて嬉しく思います。
    また、欧州から同性婚が認められつつあるので、これもサタンの陰謀か…?と妄想を膨らませてしまっていたこともあります;でも実際はどうなのでしょうか…。

    サタンは飛びすぎかもしれませんが、外国人勢力が同性愛者を利用しようとしているかもしれない、というのは有り得なくはないということなど、この問題の裏に見え隠れするさらなる問題にも注意しなければならないですね。

    そして同性愛者がいるという理由は我々人間が考えているほど生易しいものではない、という話を伺えてよかったです。
    これも神様が与えられた試練の一つなのだろうかと疑問に思っていましたから。
    今はとにかく男女での役割を理解し、互いに尊重しあう。ということを念頭に置き、再びこの問題を耳にしても混乱せず、騒ぎ立てずにいたいと思います。
    私としてはこの問題は根底を覆されそうだとネガティブに考えており、とても心配で、早く沈静化してほしいと思っていました。ですが男女の役割とはなんなのか真剣に考えるきっかけとしての問題提起なのではなどとポジティブに考えられるようになり、よかったと思います。

    長文・散文でしたがご覧いただきありがとうございました。
    もしなにか分かり難い点があればご指摘お願い致します。

    返信削除
    返信
    1. 大葉様

      感想を拝見して気づいたのですが、同性婚を推進することによって発生する問題への懸念というよりは、マスメディアが同性婚を利用して世論を扇動することへの懸念ということでよろしいでしょうか。
      そうなると、同性婚に焦点を当てるよりは、マスメディアによる世論の扇動に焦点を当てた方が、より問題の核心に迫れるのではないでしょうか。

      その上で述べると、大葉様が感じた違和感は、同性婚の法制化に慎重な方が当たり前に感じる疑問なのだと思います。
      例えば、「少数派の意見にも耳を傾けて理解をしている自分は素晴らしい」と感じるのは結構ですが、その理屈が通用する前提条件として、「少数派が多数派の意見に素直に従うのなら、多数派の意見から外れない範囲内で、少数派の意見の中から適用可能な部分については対応する」ということでなくては、多数派の人々の賛同は得られません。
      同性婚にしても、他の社会問題にしても同じことがいえるのですが、多数の支持を得られる意見には、それだけ多くの人が「妥当だ」と判断する理由があります。
      その理由を無視して少数派の意見をごり押しするだけでは、却って少数派の横暴と受け取られて多数派の反発を招くだけで、問題の解決には繋がりません。
      そしてマスメディアは、問題の解決に繋がる役割を果たすのではなく、元は小さな問題でも大げさに騒ぎ立てることが自らの役割と捉えているように動いており、それが現状では余計な騒動を巻き起こす社会の害悪として作用しています。
      マスメディアが取り上げる「同性婚」議論とは、新たな騒動を巻き起こすための「ネタ」の一つに過ぎないので、ここで同性愛者が安易にマスメディアの尻馬に乗ってしまうと、いずれきついしっぺ返しを受けることになるでしょう。

      同性婚の推進がサタンの陰謀とはいいませんが、悪魔的価値観に基づいた行動とは言えます。
      コメントで指摘されているように、キリスト教徒の多い欧州が同性婚の法制化に積極的ですので、これも現在のキリスト教会が悪魔的価値観に浸食されている証拠の一つであり、今回の神の裁きの対象とされるのも頷ける話です。
      同時に私たちも、目の前にある悪魔的価値観に基づいた行動をきちんと見極め、適切に対処できるかという点を問われている話でもあります。

      削除
  3. 大葉と申します。
    返答ありがとうございます。
    何度も申し訳ないのですが感想と質問を行いたいと思います。

    マスメディアが世論を扇動することへの懸念…そうかもしれません。

    なぜこんなに不安になったのかもう一度自分の中で辿って行くと、どんな問題にしろ、いったいどれほどの人がその事柄のことを自分で調べ、自分の考えを持って行動しているのだろうか、という部分に対して自分は一番心配をしているようです。
    他にもデモなどを行っている人のコメントを見ると、上辺だけみて深く考えずに流されているように見えて本当に自分で調べて判断したのかなどと疑念を感じることが最近多かったのです。

    今回の同性婚については、なんというか、人の親切心、良心?につけこむといいますか、語彙力がなくてうまく表現できなくて申し訳ないのですが、自分の良心を維持したいがために、またそのような人の心理を突いて誘導しているような気がして、特に冷静な判断ができていないのではないだろうかと感じました。
    そしてマスメディアが作り出している状況なのか人々の心理によってか、この件に関しては反対者の意見が言い難い状況が作られているような雰囲気を感じます。そこにさらにつけ込んで反対意見を言えない状況にどんどんなっていくのではないかという怖さもあります。
    ですのでまとめるとマスメディアのあり方も、我々受け手のあり方も両方懸念しているということになるのだと思います。
    この件に関しては当人たちがしっぺ返しを受けるようなことなく沈静化すればよいですが、一度問題として取り上げられ、それに乗ってしまっているようなので波乱が起こるのは避けられないでしょうね。

    とはいえ、日本でも同性婚が万が一認められたとした場合、考え方が歪んでいくのではないか、国や人類としてのあり方が崩れていくのではないのか。というような得も言われぬ不安が第一にあるのは確かです。「男女の夫婦」というのが当たり前の世の中で、もしも実現したならばという想像がうまくできません。
    あまりにも今までの常識からかけ離れた話でしたので想像力が働きませんでしたが、実際に認められた国は、衰退する、していくのでしょうか。
    国全体として霊的成長が遅れて、停滞だけですむのか。
    認めた国は一時は進歩している国だと思い込むのかもしれませんが、何年後か気づいて、また元に戻すのに年数がかかり、そこから大人だけでなく教育等で子どもたちに再び教えていかなければならなくなると思うので、進歩どころか後退の道へ進んでいるように思えます。
    今回の神の裁きの対象とされるとありましたが、早く抜けだした国、または気づいた人々個人の扱いはどうなるのかも伺いたいです。
    同性婚を認めた国は一歩先を進んでいる先進国だ、というような文章も見かけるので、こういう文章に惑わされず判断していきたいです。

    返信削除
    返信
    1. 大葉様

      同性婚を推進すると、従来の「男女が結婚して子供を産む」というライフスタイルが崩れますから、社会の秩序が乱れますし、少子化を加速する要因にもなります。
      それに加えて移民の受け入れを促進されてしまうと、合法的に異民族による国家侵略の危機を招きます。
      それが霊的成長の遅れとか、停滞を示すとは一概には言えないのですが、少なくとも選択を誤っているとは言えるでしょう。
      特に「霊的成長」には、選択を誤って失敗する経験が必要となる場合もありますので、その意味では失敗もさらなる成長の糧となります。
      例えると、元々の経験値が低い人や、経験値が低い人の多い国は、目の前にある問題を解決する適切な手段を知りませんので、時間を掛けて失敗を繰り返しながら、よりよい解決策を模索します。
      一方、元々の経験値が高い人や、経験値が高い人の多い国は、目の前にある問題を解決するために、過去の経験に照らしてより適切な手段をとれるので、時間も手間もかからずにすんなり解決します。
      個々の人間であれば皆日常的に行っているのですが、国単位となると結果が出るまでに時間がかかりますので、一時的に停滞や衰退をしたように見えるだけなのです。
      また、国として同性婚を推進しても、その国に住む人の中にも様々な考え方があり、色々な行動をとりますので、「同性婚」という切り口だけで霊的成長度を推し量ることは出来ません。
      「霊的成長」とは、何回も生まれ変わる機会を繰り返しながら、徐々に積み重ねてゆくものですから、一つ二つの失敗で大きく変化するわけではありません。
      しかし、過去の失敗は失敗と素直に認めて、その上で過去の失敗を今後に生かす姿勢を大切にしないと、時間が経つに連れておかしな方向へと逸れていってしまいます。

      「神の裁き」の対象はキリスト教会ですが、どの国も何らかの形で裁きの影響を受けます。
      ヨハネの黙示録では「神の裁き」と表現していますが、要は因果応報と同様の意味合いですので、過去に悪事を為した国にはそれなりの結果が、神の御心に沿う行いをした国には相応の結果が現れます。
      ですから、過去に悪事を為していないのでしたら、堂々と神の裁きを受ければよいのですし、悪事を為した自覚のある国も、この機会に自国の行いを改めればよいのです。

      削除