2014年9月1日月曜日

周囲の人の話を聞き、よく観察しよう[メッセージ修正版08]

霊的真理をより深く理解するためには、あらゆる立場を経験し、あらゆる感情を理解できるようになる必要があります。
そのための霊的な学舎の一つとして、人間の皆様が暮らしている物質界が存在しています。(*注1)
人間の皆様は、物質界における経験を通じて、霊的真理の追究をしている真っ最中なのです。
霊として一段階成長するためにも、物質界であらゆる経験を積む必要があります。

霊的に成長途上である間は、何かと判断を誤り、失敗をしてしまうことも多いと思います。
未経験の事柄や想像の及ばない物事に関しては、周囲をよく観察したり、他者の意見を聞いたりしながら、少しずつ理解を深める努力によって補うしかありません。
より優れた観察眼を持つ者たちの意見を事前に知っておくと、何かの判断を下す際にとても参考になることでしょう。
自分とは異なる意見の持ち主の考えを知っておくことも、より適切な判断を下すためにはとても重要になってきます。
成熟、未熟にかかわらず、周囲の者たちの話に耳を傾けることによって、自分にとって有益な情報を得ることが出来るでしょう。
例え今は無益に思えるような情報でも、ふとした機会に役立つこともありますから、常日頃から周囲に関心を持ち、積極的な情報収集を心がけましょう。

自分の周囲には一体どのような考えの人間が暮らしているのか、日頃からきちんと把握していることで、何か問題が起きても対処しやすくなり、重大な事態を回避できるかもしれません。
あるいは、誰かの助けになることも出来ることでしょう。
自分と似た者の話を聞くのも良いのですが、それだけでは情報に偏りが生じてしまい、何か事が起きたときに判断を誤りやすい環境が出来上がってしまいます。
そのような環境下では、どんなに努力をしても、空回りするだけで成果を期待することは出来ません。
以前は全く関心が無かったような、いくら聞いても無駄だと思えるような話が、実は問題解決の鍵を握っているという場合もあります。
ですから、異なる意見を持つ者や、自分が知らないような知恵を持っている者からも、積極的に話を聞くようにしましょう。

善悪や優劣、成熟や未熟、賛否などの先入観に囚われることなく、様々な者たちと言葉を交わし、相手の言葉を理解出来るように努力をしましょう。
相手が何を言わんとしているのかきちんと理解出来れば、相手は自分にとってどのような存在であるのか判断できるようになります。
そうすれば、相手とどのように付き合って行けばいいのか、どのような環境を築けばいいのか、自ずと答えが見えてくるでしょう。

言葉を聞くのと同様に、相手の行動もよく観察しておきましょう。
心正しき者は行動にも偽りがないので、言葉をそのまま受け止めることが出来ますが、中には相手を騙そうとして、言葉を偽りで塗り固めてしまう者もおります。
相手の語る言葉が偽りであった場合は、必ず行動に矛盾が生じます。
よくよく観察することで、言葉とは裏腹な行動が垣間見えてくることでしょう。
人間の本性は必ず行動に表れます。
言葉でどんなに飾り立てても、本性は隠せないのです。

常に周囲に関心を払い、自分が置かれている環境を理解することで、いずれは安心して快適に暮らせる環境を実現する方法に気づく事でしょう。
周囲との適切な距離感を導き出すためには、周囲を理解する必要があるのです。

(2014年7月30日)





注1:
「物質界が霊の学舎としての役割を果たしている」点については、下記の記事にてより詳細な説明を行っておりますので、未読の方は併せてご覧下さい。
【霊の学舎としての物質界と因果律の作用(前編)[メッセージ修正版05.1]】


上記記事は、『銀の紐を越えて』掲載記事【未熟な意見について考える重要性(メッセージ16)】について、霊媒Mの通信精度向上に伴って、再度詳細な説明をお願いしたものです。
通信の送り手が提供する情報は同じであっても、受け手の霊媒の通信精度の違いによって、これほど内容に違いが出るのだという部分を感じて頂ければ、今回の試みに挑戦した目的は果たされていると思います。

Silvercord管理人 





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7 件のコメント:

  1. 管理人様

    初めて人間として生まれたような未熟な時に、たまたま良く出来た人たちに囲まれ、怒りや悲しみ、憎しみや楽しみなどの感情の起伏がそれほど大きくない、裕福でも貧しくもなく特に注目されることもない、平凡で平穏な人生を送ったとします。
    その後、何度か生まれ変わっても、記事にあるような、周囲を良く観察し、他人の意見を聞き入れることを実践して、一般的に言って悪とされる性格を経験せずに成熟し、物質世界に生まれ変わる必要が無くなる、そのような秀才めいた霊の有り方は正しいでしょうか?

    例えば、独裁者として描かれる人物像に、他人を見下す傲慢、利己的で自己顕示欲が強く、他人の生死に頓着しない冷酷な性格などの極端な人物像がありますが、成熟した人格を獲得するためには、未熟な霊の内にこのような性格の人生を経験する必要はあるのでしょうか?

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    1. 匿名様

      人間に霊が宿って生まれる時には、それ以前の霊の記憶が一旦封印されて、擬似的に経験のない状態として生まれてきます。
      その様な仕組みがあるのは、過去の記憶がある状態のままで生まれてしまうと、生まれた時代や場所で生活する為に必要な知識を身につける弊害になりますし、自分が生まれた目的に集中することが難しくなりますので、敢えて記憶を封印した状態で生まれる仕組みにしているようです。
      しかし、人間としての生活を送っているうちに、封印されている過去の記憶と似通った場面に遭遇する場合があります。
      その際には、霊の記憶庫に保管されている過去の記憶とシンクロして、インスピレーションの様な形で、その際にどうしたら良いか(過去の記憶ではどうしたか)という知恵がもたらされる場合がある様です。
      この様な、封印された過去の記憶とインスピレーションの作用によって、霊としての経験を豊富に積んでいる方程、社会生活への順応性が高かったり、物事の理解力に長けている傾向があります。
      但し、その人生の目的によっては、霊の状態では過去に習得している知識や経験であっても、今生の目的を遂げる為に特定の能力が発揮されない様に封印する場合もある様ですので、傍から見て単純に霊的成熟度を推し量れるわけではありません。

      さて、以上の前提を踏まえて、匿名様のコメントにある事例について考えてみましょう。
      初めて人間として生まれた様な未熟な場合には、人間としての経験が不足しておりますので、霊が人間に宿る前段階である、動物に宿っていた経験を反映しがちな子供として育つでしょう。
      過去の記憶は封印されておりますので、何も動物的な仕草をするわけではありませんが、自分の中の動物的欲望に正直な性格に育つでしょう。
      そうなると、周囲の人がどうであれ、怒りや悲しみ、憎しみや楽しみなどの感情を、比較的素直に表現するのではないでしょうか。
      人間としての過去の経験がないので、感情を抑制する意味がよく分からずに、「これをやりたい」と素直に意思表示します。
      しかし、人間としての経験を重ねて行くうちに、素直な感情表現や意思表示だけでは、他の人との関わりの中でトラブルの原因となる場合も出てくるでしょう。
      そこで苦い経験を重ねて、何をすると痛い目を見て、何をすると上手く行くのかを、自分自身の体験を通して理解して行きます。
      ですから、匿名様が設定された様な事例は、実際には考えられないというのが、管理人からの回答となります。
      記事にある「周囲をよく観察し、他人の意見に耳を傾ける」ことの重要性を理解できる方は、既に何回も人間としての生涯を繰り返し経験していて、霊の記憶庫の中に多くの「人間としての経験を積んだ過去の記憶」が保管されているはずです。
      その「過去の記憶」には、「周囲をよく観察して、他人の意見に耳を傾ける」事が重要であると理解するきっかけになった経験が眠っているからこそ、こちらの記事に注目されたのでしょう。
      私たちが行っているのは、初めて霊的な知識に触れる方に向けて、出来るだけかみ砕いた解説を通して、少しでも理解を深めて頂くきっかけとして頂くのが一つの目的ではありますが、もう一つの役割があると考えています。
      それは、既に過去世で充分に経験を重ねて知識を習得されていても、人間の記憶の仕組みの都合により、今は一時的に記憶を封印されている方に向けて、過去の記憶を呼び覚まして頂くきっかけとなることです。

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    2. >>霊が人間に宿る前段階である、動物に宿っていた経験を反映しがちな子供として育つでしょう。

      今目の前にいるペットや家畜の霊なども成長を繰り返しいずれは人として生まれるということでしょうか。また人も人としての義務や権利を全うしない場合は動物に生まれ変わったりするのでしょうか。
      また木や石などにも自然霊が宿るようですが、こういったものにも人は生まれ変わったりするのでしょうか。質問ばっかりですみません。

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    3. 匿名様

      現在人間に宿っている霊は皆、動物に宿った状態で最低限経験しなくてはならない物事は、既に一通り済ませています。
      ですから、人間として過ごす中で、未熟さや至らなさの表れとなる行動を取ってしまっても、その行動に対する罰の様な形で、動物に生まれ変わることを強いられたりはしません。
      高校を卒業した人が、その後に進学した大学では、素行不良の為に進級できなかったとしても、高校卒業の資格を剥奪されないのと同じです。
      しかし、一旦人間としての経験を積んだ霊が、自ら「再び動物としての経験を積みたい」と希望すれば、その希望が叶えられる場合はあるそうです。
      例えば、人間としての経験を重ねていても、動物との関わりを大切にしている方の中には、「動物が亡くなった後に、動物に宿っていた霊が、すんなりと次の段階に進める様に世話をしたい」と希望する方もいるそうです。
      そういう方の場合は、ある程度人間としての経験を積んだ霊であっても、今後の目的とする作業に備えて、一旦動物としての生涯を経験してから、自分が目的とした作業に携わるのだそうです。
      大半の霊は、人間に宿る前段階として、動物に宿る経験を積むので、合格ラインを越えていれば次の段階に進めるのですが、動物に宿る霊の世話をする為には、合格ライン以上に動物について熟知している必要があるからです。

      コメントにもあります様に、木や石などにも霊は宿っているようですが、人間や動物に宿る場合とは色々と異なる事情があるようです。
      詳細については、今のところは霊媒の理解を越えた情報になりますので、霊界の住人が説明を試みても、霊媒がその情報を適切に受け取れないそうです。

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    4. 分かりやすい解説ありがとうございました。
      「ココ」という手話をするゴリラがいるのですが彼女は感情といった抽象的な部分も表現したり、ウソをつく事もできるそうです。
      彼女なんかはひょっとしたら人間の経験を積んだ後にゴリラに転生したのかもしれないですね。

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  2. 管理人様

    2014年9月4日 21:43に質問した匿名です。
    ご回答頂きありがとうございました。

    動物的要望を持った初めて人間に生まれた霊のイメージは、80年代のツッパリ?のように周囲に突っかかりトラブルを起こすトゲトゲを持つウニのような形のようです。
    そのような人物が周囲とトラブルを起こすことでトゲトゲを1本ずつへし折られ何度か転生を繰り返す内に、人当たりの良い丸い人格が出来上がることが、魂を成熟させる上で欠かせない修練のコースであると言えるのでしょうか。
    そのため、最初からトラブルを起こさずに成熟することは通常有りえないということですね。

    そうすると、独裁者の人物像をそのまま体現している人物などは、1度の人生で大量のトゲトゲをへし折る機会に恵まれた、類まれなる幸運な人生ということになるのでしょうか?
    何か反動も多そうで、通常の人と比べて乗り越えるて魂を成熟させるのに多大なエネルギーが要りそうですが。

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    1. 匿名様

      独裁者に対する思い入れがある様ですが、独裁者にも色々な人がいます。
      独裁者となってしまうのは、その人の個人的な資質による場合もあれば、周囲の反応によって独裁者にまつりあげられる場合もあります。
      本当は独裁者ではないのに、敵対する者のプロパガンダによって、独裁者に仕立てあげられる場合もあるでしょう。
      それらの様々な可能性を『独裁者』とひとまとめにしてしまっては、いわゆる独裁者とされている人々についての見方が偏ってしまう原因になると思うのですが、いかがでしょうか。

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