霊にとって、肉体の中で一番破損しては困る部位は脳であり、脳という場所は、霊的成長にとっては一番重要な器官となります。
脳が何かによって破損すると、肉体に宿った目的を果たすことが困難になる場合があり、霊的成長が停滞する可能性があります。
自分自身で判断する能力を削がれてしまうのは、霊的成長という意味では致命的な状態ですので、場合によっては、目的を果たすために生まれ変わる決断をし、寿命が当初の予定よりも縮んでしまうことさえあるのです。
思考できなくなることは、霊にとっては大問題なのです。
ただ、周囲の人間との関わりもありますし、生まれた目的も多種多様ですので、脳を破損して思考できなくなったからといって、即寿命が縮まるわけではありませんので、そこは勘違いなさいませんように。
脳を破損した肉体に宿っている霊が、早く生まれ変わる必要があると判断した場合のみ、寿命が縮まる場合があるということです。
例え不自由な状態になったとしても、その経験こそが霊的成長に繋がり、当初の目的を果たせると判断した場合は、事前に定められた寿命を全うすることになるでしょう。
霊の成長度合いにもよりますが、肉体に宿るに当たって一番重要なのが、霊的成長に適した環境であるか否かなので、霊的成長が見込めないと判断した場合は、今の肉体を放棄するというのはよくあることなのです。
人間にとって、死は別れを意味し、不吉の象徴とされていますが、実は、霊にとって不吉なのは、むしろ霊的成長が阻害されたままの状態で放置されることなのです。
成熟した霊は、霊的成長が阻害されている場合は、そのことをはっきり認識しているので、何とか状況を改善しようと試みます。
それでも改善が見込めない場合のみ、最終手段として肉体を放棄する決断をします。
未熟な霊の場合は、知らない事柄が多いため、判断材料が限られているので、細かい事情を理解できないまま違和感のみを抱き続けます。
そして、その違和感がピークに達すると、とうとう耐えきれなくなり、肉体を放棄する選択をしてしまいます。
違和感の正体が分からないため、何をどうしたらよいのか分からなくなってしまうのです。
肉体を放棄した霊は、達成できなかった目的を達成すべく、再び肉体に宿ります。
同じような環境を選んで、再挑戦するのです。
それは、未熟な霊も、成熟した霊も同じです。
違うことといえば、肉体を放棄した理由をきちんと認識しているか否かです。
理由をきちんと認識している場合は、死後の目覚めも早く、行動も迅速です。
理由が分からず、感情のままに行動してしまった場合は、死後に目覚めるまでに時間がかかります。
今後の方針を決めるための材料もあやふやなため、どのように判断したらよいのか分からないのです。
それでも、時間が経つにつれ、自分が何を望んでいて、それが達成されていないということに気づくので、再び肉体に宿って目的を達成しようとするのです。
霊にとっては霊的成長が全てであり、未熟から成熟まで様々な成長段階はありますが、定めた目標を達成するという目的は共通しています。
未熟な霊は、自分勝手な望みを抱きやすく、周囲に迷惑をかけることも多いですが、それもまた経験で、霊的成長には欠かせません。
一つずつ学び、少しずつ成長しています。
成熟している霊は視野も広いため、望みもより広範囲に渡って影響する物事が多いです。
自分自身と周囲との関係というものに関心が深いため、社会活動にも積極的に参加することが多いです。
成熟か未熟かは、出発時期の違いや個性の違いなどもありますので、現状を見て比較する意味はありません。
説明のためにその様に表現しただけであり、そこに他意はありません。
大切なことは、過去よりも未来の自分の方が霊的に成長していることであり、他の誰かよりも自分の方が成長していることではありません。
前回の記事でも書きましたが、これは大変重要なことですので、よく覚えておきましょう。
(2014年5月28日)
上記記事は、『銀の紐を越えて』掲載記事【肉体と霊体&苦境を避ける術(メッセージ14)】の内容のうち、特に『肉体と霊体』の部分について、霊媒Mの通信精度向上に伴って、再度詳細な説明をお願いしたものです。
通信の送り手が提供する情報は同じであっても、受け手の霊媒の通信精度の違いによって、これほど内容に違いが出るのだという部分を感じて頂ければ、今回の試みに挑戦した目的は果たされていると思います。
なお、今回の記事には含まれていない『苦境を避ける術』の部分については、記事【人間は困難を克服する経験を通じて成長する[メッセージ修正版06]】にて説明しておりますので、関心のある方は併せてご覧下さい。
Silvercord管理人
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また、コメントを投稿される際は、記事【『銀の紐を越えてα』の開設にあたって】に掲載中の『ご覧の皆様へのお願いと連絡事項』をご覧下さい。
今回の記事に関連するか分かりませんが良ければ教えてください。例えば霊的知識のない者が自殺をする場合、特に地上時代唯物主義を貫いた者は死んだ事に気づかず同じ苦しみを永遠に繰り返すと聞きますが、霊的知識のある者(自殺後の顛末を理解できてる者)が今生の地上生活に見切りをつけて自殺する場合はどうなるのでしょう。
返信削除匿名様
削除霊的知識のない者が自殺した場合は、死んでしまった当初は自分自身の置かれた状態が理解出来ず、死の直前に強く囚われていた思いが気になる余りに、生前と同じようにそこから逃れようと悪戦苦闘するでしょう。
しかしそのうちに、幾ら逃れようとしても決して逃れられないことに気づきます。
そこで「おかしい」と疑問を持った時に、自分の置かれた状態を客観的に理解するチャンスが訪れます。
そうすると、(既に肉体から離れているので)自分の身体の状態が変だったり、傍らで何者か(守護霊や、生前に縁のあった方の霊など)が自分に向かって呼びかけていることに気づくのです。
そこまでにどの位の時間が掛かるのかは、個々の霊によって差がありますが、永遠に気づかないという事はありません。
さて、霊的知識のある者が自殺した場合はどうなのか、とのお尋ねですが、霊的知識を充分に理解されている方でしたら、自身を殺めるような選択は決してとりません。
霊的知識のある方でしたら、自分自身が何故今人間として存在しているかを自覚していると思いますので、人間として誕生した目的を成し遂げる為に尽力するでしょう。
普段「霊的知識がある」と自称し、或いは周囲に認められていても、仮にその方が自殺してしまったのでしたら、霊的知識を言葉としては知っていても、その真意を全く理解していなかったという事になります。
なお、上記記事の例えにある様に、何らかの肉体的な損傷により、その後の霊的な成長が見込めなくなってしまった場合は、霊界側の措置として、元々想定されていた寿命よりも早く、損傷した肉体と霊との繋がりを絶ちます。
人間から見た場合は早世となりますが、きちんとした手続きを踏んで死に至りますので、悪影響はありません。
一方、何らかの肉体的損傷を抱えながら、尚も命を繋いでいるのでしたら、その方にはその境遇を経験する中から学び取る必要のある何かが、未だ手付かずのままに残されているのです。
管理人様
返信削除馬鹿馬鹿しい質問ですので、良く分からない場合は無視していただいて結構です。
通常脳の機能は、記憶と判断を司る装置であると考えられています。
シルバーバーチなどの霊訓を読むと、死んで霊になった場合でも地上で生きていた時の記憶が引き継がれていることから、脳内に記録される記憶は霊にもコピーされるのではないかと推測されます。
上記記事では、脳の機能で重視されるのは判断を行うための演算機能のようなものではないかと推測されます。
しかし、今後脳医学が発達し、脳内に記録されている経験や学習の記憶を消去し、別の記憶で上書きした場合、脳に記録されている記憶と霊にコピーされて記録されている記憶に齟齬が生じるのではと思います。
そうすると、脳のハードウェアには問題が無いにも拘らず、ソフトウェアとしてのデータ(その人の記憶)が破壊されたことになり、霊の側で記録されている人格とは異なる状態になると推測されます。
その場合も、霊的成長が継続困難になるとして寿命が縮まるのでしょうか?
匿名様
削除興味深い質問をありがとうございます。
霊界の住人の話によると、人間の記憶を司るのは霊であって、脳は霊が記憶する情報を引き出したり、逆に肉体を通じて得た情報を、霊が記憶できる様に変換する役割を担っているようです。
ですから、霊の存在が科学研究の俎上に乗るまでは、人間の記憶の謎の解明はお預けになるでしょう。
大雑把に分けると、霊には二種類の記憶領域があるそうです。
一つは、その霊の誕生してから現在までの全ての記憶が保存される領域です。
もう一つは、人間の脳で処理できる範囲内の記憶が保存される、一時記憶の領域です。
霊界の住人によると、人間の脳では、誕生してから生涯を終えるまでに体験した全ての情報を記憶するには容量が足りないので、一時的に記憶した情報のうち、人間としての活動に必要な最低限の情報のみを長期的に維持します。
その他の一時的記憶は忘れてしまうことで、限られた脳の機能を有効活用しています。
それらの作業は、脳と霊の一時記憶の領域の間での、情報のやりとりを通じて行われるようです。
一方、霊の全ての情報が記憶される領域では、脳を通じて、霊の一時記憶領域に保存された情報をそのまま転写することで、その霊が誕生してから、人間や様々な生命として経験した際の記憶や、霊の状態で経験した全ての記憶が保存されているようです。
以上の前提を踏まえて、匿名様の質問にある事例について考えてみましょう。
記憶を上書きすると言うことは、霊の記憶領域に保存されている情報に干渉することになりますが、人間には霊の記憶領域への干渉は不可能なのだそうです。
しかし、人間の記憶を何らかの外部記録装置に保存できる技術が開発できれば、霊と脳の間の情報伝達を遮断した上で、外部記憶装置と脳を接続して、脳には外部記憶装置の情報を霊からの情報と誤解させることによって、傍目には別の記憶を上書きされた様に見せかけることは可能なようです。
言わば、憑依現象と同じ様な状態を人工的に作ることになります。
そうすると、人間に宿っている霊にとっては、自分の身体を思い通りに動かせなくなるのですから、それ以上同じ肉体に留まることに違和感を持って、霊がその肉体から離れようとする様になるそうです。
ちなみに、脳に損傷を負ったことにより、何らかの記憶障害が現れる場合がありますが、少なくとも損傷を受ける前に記憶した情報であれば、霊には全て記憶されているそうです。
それでも、通常なら長期的に記憶される情報の欠損が見られる場合は、記憶された情報自体が失われたのではなくて、脳の損傷に伴って、霊から記憶を引き出す機能に問題が生じて、霊の記憶を上手く引き出せなくなっているのだそうです。
管理人様
削除2014年8月20日 15:07に質問した匿名です。
丁寧な回答ありがとう御座いました。
霊の記憶と人間の脳の記憶の関係の解説部分が、まるでUNIXやWindowsなどのOSの記憶処理方法の解説を読んでいるようで、非常に興味深いと感じました。
よく科学読み物などで言われているように、脳の記憶容量は150歳までの全ての見聞きした情報を全て格納できると程有ると言う説が実は間違いだという回答は、私にとっては衝撃的な内容です。
まさか人間の脳の構造が、PCのようにローカルストレージに情報を記録するような構造ではなく、1970年代の大型汎用機にぶら下がっているダム端末のような限定された機能しか持たない装置であるとは思いもよりませんでした。